自立を望む選択をさせてもらえない女たち~専業、主婦、母という存在~

自立を望む選択をさせてもらえない女たち~専業、主婦、母という存在~

自立を望む選択をさせてもらえない女たち~専業、主婦、母という存在~

フリーライターの小林なつめです。

私は専業主婦に育てられたものの、だからこそ働き続けることを選んだという経緯もあり、「専業主婦」について、何度か記事に取り上げてきました。

 

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さまざまな立場や場面、または夫婦関係によって、前向きな選択としての「専業主婦」がいることは理解しているので、彼女たちやその生き方を否定するつもりは毛頭ありません。

でも、どうしても私には、専業主婦にネガティブなイメージがあるのです。「専業主婦ってつらいな」と感じてしまうのは、私の場合、誰より身近な実の母の存在からでしょう。

専業主婦の何がつらいかというと、一番は自由がないところだと思います。

 

・家事・育児の一切を担うため、時間の制約が大きい

・経済的に自由が利かず、お金/行動の制約がある

・稼ぎ主かつ家長である夫に遠慮して、窮屈に感じる

 

それでもまだ、夫が心身ともに健やかで、夫婦仲が良ければいいのかもしれません。

 

しかし、2人の人間に大きなパワーバランスがあると、対等な関係を維持するのは、簡単なことではなく、夫婦の力関係の差が、時にDVやモラハラにつながることもあります。

どれだけ全うな倫理観を持つ人でも、社会の風潮や価値観を内面化されているからです。

 

「誰が養っていると思っているんだ」「私の方が稼いでいるのに」など…口に出す・出さないは別として、こんな風に思ってしまうこともあるでしょう。

私は、専業主婦かどうかは関係なく、母には母の人生を生きてほしいので、母がより自由に、幸福に生きるためなら、父との離婚も選択肢に入れてほしいと考えています。

 

しかし、母にはそれができません。

長い結婚生活の中で、何があっても「別れられない」という思い込みに囚われているのです。これが、専業主婦の一番の不幸ではないでしょうか。

母が結婚前の仕事を辞めて、家庭に入ったのはなぜか。「本人の意志」といえば簡単ですし、それもまた事実です。でも、その一言で片付く話でもありません。

母がその選択をしたのは「そういう時代だったから」ではないかと思います。

 

当時(1985年ごろ)の地方都市では、結婚すれば専業主婦になって家庭に入るのが、まだまだ当たり前でした。世間の雰囲気や、目には見えない圧力もあったでしょう。

事実、彼女の周りは専業主婦ばかりで、「働く妻」はごく少数。住んでいた社宅で仲良くしていた家族も、そのほとんどが専業主婦のいる家庭だったのです。

母は40年以上たった今でも繰り返し「あのとき仕事を辞めていなかったら…」と言います。時代が時代なら、共働きが当然の社会だったら、母は仕事を辞めていなかったでしょう。

そしたら父との関係もまた、違ったかもしれないし、母は母の道を歩けたかもしれません。「性別役割分担」は、女性からあらゆる自由を取り上げた制度でもあるのです。

 

先日、最近始まった2025年の秋ドラマ「小さい頃は、神様がいて」を見ました。

このドラマでは、主人公「小倉あん」の、妻、母親、そして主婦として生きることのつらさや息苦しさがつぶさに描かれています。

あんは若い頃、商社で働くキャリアウーマンでしたが、出産を機に退職。若くして結婚・出産を経験した二児の母です。じき、下の子が20歳になろうとしています。

19年前…幼い2人の子どものワンオペ育児をしていたあんは、その生活に疲れ果て、仕事から帰宅した夫に、将来離婚する約束を迫ります。

そのときのあんの悲痛な叫びを引用します。

「嫌だ…こんなの嫌だ。こんなのおかしい…。間違ってる…嫌だ。何であなたは外の世界で仕事してるのに、私は、何でここから動けないの?

 

私の人生じゃない、こんなの。

 

このままじゃ私、この子達嫌いになる。憎むかもしれない。何で私ばっかり…。この子たちこんなかわいいのに、私、おかしいの?ねぇ、どうしたらいい?」

また、それから19年がたっても「私は、分からなくなった。2人の子どもは、かわいくて、大好きで…」と、子どもの存在や子育てについては肯定的に見つつ「でも、私はどんどんおかしくなってった。私は、母という存在以外、何にもなかった。」と、あんは語ります。

「何で、私は自分を我慢しなくちゃいけないの?何にもなくならなきゃいけないの?母っていうのはそういうもんだろ?それが幸せだろ?って周りはそういう目で見てて。自分のこと考えるのは悪いことで、愛情がないみたいに思われて。」

「でも私は、母として生きるためだけに生まれてきたわけじゃない。」

 

夢中になっていた仕事を辞め、家庭に入った。

若いうちに、幼い子どもをワンオペで育てた。

自分の意志とは関係なく「母親」にならせられた。

それを、自分の人生を取り上げられたように感じた…。

 

あんが「母親にならせられた」と感じた苦しみは、少なくとも仕事を奪われてはいない私のそれとほとんど同じで、以前読んだ『母親になって後悔してる(オルナ・ドーナト (著), 鹿田 昌美 (訳)』を思い出しました。

私も結婚、出産そして子育て…すべて自分の意志で決めはしたけれど、だからといって「母親」になりたかったわけではなかったからです。

(くわしくは病児保育と『母親になって後悔してる』参照)

 

社会で働き、生きがいを感じる。評価され、経済的に自立し、自分の人生を生きる…仕事は、人生や生き方、個人のアイデンティティに大きく関わっています。

今の日本で「主婦」あるいは「母」という肩書きは、女性から何かを奪うことばかりで、与えてくれるモノは少ないのかもしれません。

 

【参考】

『ジェンダーで読み解く男性の働き方・暮らし方 ワーク・ライフ・バランスと持続可能な社会の発展のために』多賀 太/著 時事通信出版局 2022.3

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