フリーライターの小林なつめです。
病児保育って?初めて使ってみたら…
子育ては、病気やウイルスとの戦いといっていい。どんなに気をつけて予防していても、子どもが保育園で流行病をもらってきたり、それが家族内に蔓延したりという出来事が、日常茶飯事だ。
(実際の体験談は、過去の記事「【育児×キャリア シリーズ】コロナ禍のワンオペはいつにも増して綱渡り…「小学校休業等対応助成金」の打ち切りも 」を参考にしてほしい。)
そんな病気の子どもと、その親の強い味方が、病児保育だ。
病児保育とは、普段は保育所や幼稚園、小学校などに通う子どもが体調を崩したときに、一時的に子どもを預かってくれる場所だ。保育所や病院などが母体となっている施設が多い。
長子が1〜2歳半まで住んでいた都内某区には、病児保育を行う施設はあまりなかった。だから私も子どもも、病児保育は未経験のままだった。
そんな中、我が家の長子は5歳となった。最近では体が強くなり、体調を崩すことも少ない。それでも残念ながら、「いつでも元気!」というわけにはいかない。
先日も、朝、熱を測ると、何となく熱っぽい感じで、37.5℃前後を行ったり来たり。保育園の登園の条件は、37.5℃が目安なので、「今日はお休みかなぁ」と考えた。でも、その日は仕事の納期。子どもが家にいると、間に合うか微妙だった。
そこで思い出したのが病児保育だった。今住んでいる家から、車で10分ほどの小児科に病児保育の施設があり、1年ほど前に登録を済ませて、そのままにしていたのだ。
さっそく「あずかるこちゃん」という、病児保育ネット予約サービスのサイトを開いて、ログインした。その日は運良く予約の枠が空いていて、すんなり予約できた。
元気な次子を保育園に送り、長子のリクエストでお昼ご飯の弁当を買って、いざ病児保育へ。施設に入ると、すぐに診察に案内され、そのままお預かりとなった。長子は人見知りしないタイプなので、あっさり手を振って別れた。
その後、仕事を済ませてお迎えへ。お土産は長子の満面の笑みと空っぽの弁当箱、処方された薬だ。私たちの住んでいる自治体は、病児保育が無料なので、支払いは、病院の診察費のみ。とてもシンプルでスムーズな制度だと感じた。
支払いを済ませて外に出ると、長子はご満悦で、今日遊んだことや、友だちの話をしてくれた。「明日から保育園じゃなくて、ここに通いたい」とまで言われ、思わず苦笑したほどだ。
病児保育は想像以上に便利だった。「病児保育は働く親の味方なんだ…私たちは病気の子どもを預けて、仕事をしてもいいんだ」と、許された気さえした。
病児保育は素晴らしい!でも利用には罪悪感がつきまとう
だけど…病児保育の利用に至るまでには、激しい葛藤と判断と決断、行動という、一連の流れが必要だった。
子どもの体調が悪そうだと分かったその瞬間から、「それでも園に預けるか、家でみるか、家でみながら仕事はできるのか」「子どもに無理をさせない、ベストな方法はどれか」…そんなアレコレを、頭をフル回転させて考える。
特に、子どもの不調や発熱の発覚から、預けた後もなおつきまとう、「病気の子を預けてまで私は何をしているのか…仕事はそんなに大切なのか」という、すさまじい罪悪感は、何度経験しても、本当に苦しく、慣れることがない。
私は、病児保育を利用するたびに、この罪悪感を味わわなければならないのだろうか。本当に辟易する。この罪悪感が「母性の呪い」なのだとしたら、私はいっそ父親になりたいとすら思う。
『母親になって後悔してる』を読んだら、第一子の産後の記憶がよみがえった
そんなことを考えていたとき、話題になっていた『母親になって後悔してる』を読んだ。
読み進めているうちに、初めて子を持った直後の自分が、「母親」になってなお、「「母親」にだけはなりたくない…!」とあがいていたことを思い出した。
当時、私は産後1ヵ月。腕の中に抱く我が子を、これから責任を持って育てていかなければならないのだというプレッシャーに、毎日押しつぶされそうだった。
そんなとき、赤ちゃんの顔を見に来てくれた親戚の1人に「夫君はよく頑張っているようだけれど、なつめはもう少し頑張らないとね」と言われ、「これからは「私」としてでなく、「子の母」としてだけ生きろ」と突き付けられたようで、とても苦しくなった。
私は「母親」になんて、なりたくなかった
私は子どもに会いたくて、子を為し、結果として母親となったけれど、母親になりたかったわけではない。むしろなりたくなかった。本当は妊娠前からそう思っていたのだった。
私は、生まれながらの私が好きで、自分の人生が気に入っていた。もちろん、子どもたちが人生に加わってからも、それは変わらない。でも、子どもを産んだからといって、それまでの自分を切り捨てなければならないような考え方は、受け入れたくなかった。
「母親」は、神格化され過ぎていると思う。子どもを産んだとしても、私たちはただの一個人であって、子どもを育てるという点では、父親と何ら変わらない。
『母親になって後悔してる』には、私と同じように考えている女性が何人も登場する。この本は、イスラエルの女性へのインタビューを元としているが、「母親という生き物に向けられた世間のまなざし」には、国境などないのだと思い知らされた。
もし、今「母親であること」に苦しんでいる人がいたら、ぜひ手に取ってほしい。
同じように苦しんでいる同志は、日本だけでなく世界中にいて、今も私たちと同じような日々を、戦い続けているのだ。
【参考文献】
『母親になって後悔してる』オルナ・ドーナト/著 新潮社 2022.3