フリーライターの小林なつめです。
私が平日昼間にショッピングモールでした体験
平日の公共図書館やショッピングモールに行ったことはありますか?
私は仕事柄、時々行く機会があり、度々似たような場面に遭遇している。
大体は、以下のようなシチュエーションだ。
私が平日ショッピングモールなどに出かけるのは、基本的に、仕事の資料集めやネタ探しのためだ。いいネタや構想が浮かぶと、人の邪魔にならない通路の隅に避け、立ったままスマートフォンにメモすることが多い。
メモだけでは足りない場合には、少し時間をかけて文章にまとめたいので、5~10分だけ、どこかに腰を落ち着けたいと思う。そのとき初めて周りをじっくり見回し…全ての椅子が埋まっていることに気がつく。
平日真っ昼間のショッピングモールは、人が少なく、閑散としている。お店で買い物をしている人も少ない。それなのに、モールの廊下に等間隔に置かれている3人掛けのソファには、1人ずつ、高齢の男性が腰掛けている。
それも多くの場合、特に何をしているでもない。スマホを触ったり、本を読んだりすらしていない。ただ、そこに「ある」という風情なのだ。
それに気づいたときには、正直ギョッとした。「この人たちは何をしているんだろうか…?」でもそんな疑問を抱くまでもなく、彼らは何もしていない。ただそこで、時間を潰しているだけらしい。
行き場のない男性たちが集う場所
この体験をした後、田中俊之氏の『男がつらいよ』を読んだ。そこには、「男性たちにとっての「2007年問題」って?」と題し、まさに私が遭遇した「行き場のない」男性たちが、取り上げられていた。
「2007年問題」は、2007年に団塊の世代が一斉退職することにより、懸念された問題のことだ。具体的には、労働力の減少や技術継承の断絶などが想定されていた。
一方で田中氏のいう「男性たちの2007年問題」は、「男は家庭を顧みず仕事だけをしていればいい」という昭和的男らしさに縛られた人たちが、地域や家庭に【戻ってくることで】発生するさまざまな問題を指す。
結果として「行き場のない男性たちは、お金がかからず、冷暖房が完備された場所を探」し、「昼間の図書館やデパートのベンチ」で、「手持ち無沙汰な様子でただ時間がすぎるのを待っている」。これは、まさに私が目にした光景だ。
本来の「2007年問題」とはかけ離れた男性たちの姿
田中氏のいう「男性たちの2007年問題」は、本来の2007年問題と、ベクトルが真逆だ。
本来の2007年問題では「退職する団塊の世代が、社会や企業から失われる」ことの、マイナス面を問題視している。つまり彼らの不在を「痛手だ」と捉えている。それに対して「男性たちの2007年問題」で、男性たちは邪魔者扱いされている。
退職後、地域や家庭に居場所を見いだせず、行き場をなくして、さまよっているのだ。
「男性たちの2007年問題」の原因は性別役割分業
この「男性たちの2007年問題」もまた、性別役割分業の弊害だろう。仕事に邁進し、家庭を顧みず、地域やご近所さんはもちろん、家族とさえ良い関係を築こうとしなかった結果だ。
今や男性の平均寿命は81.41歳。65歳で定年したとしても、残りの人生は10年以上ある。そのとき、地域や家庭に居場所を見いだせるかは、自分次第だ。
「男は仕事」と考えて、仕事だけしていると、定年後に多くのものを失うだろう。定年後も仕事をしていたときと同じように、生きがいを得たいのなら、妻と家事・育児の分担をしたり、地域活動に参加したりと、仕事中心の生活を見直してみてはどうだろう。
【参考】
◆『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』田中 俊之/著 KADOKAWA 2015.5 p.88-92
◆ 働いてばかりのパパは定年後の居場所が無い:日経xwoman
◆ 団塊世代をめぐる「2012年問題」は発生するか?|統計局ホームページ/統計Today No.32
◆ 平均寿命と健康寿命 | e-ヘルスネット(厚生労働省)