
フリーライターの小林なつめです。
フェアな夫婦でいたい
先日行った「【男性育休】当事者インタビュー①:~夫、育休取得編~」で当事者Hさんに話を聞いたとき、彼は「自分が過ごしやすい家庭にしたい」から、夫婦としてフェアな関係でいたいと話していました。
具体的には、妻にももっと自分の用事で出かけてほしいし、できれば仕事にも復帰してほしい ⇒ そうすれば自分も気兼ねなく、外出や仕事ができるからということでした。
私も、夫とは「フェア(対等)な夫婦関係でありたい」という強い思いを持っています。
収入の面で大きな差を付けたくないし、同時に家庭での家事・育児も、なるべく平等に負担を分け合いたいのです。
こう思うようになった理由について考えてみると、専業主婦だった私の母が、夫である父にとられていた態度にありそうだと分かりました。
専業主婦だった母とその夫の関係
父と母はケンカの多い夫婦だったのですが、ケンカになると父が言うのが「誰が食わせてやってると思ってるんだ」という決まり文句でした。
家事・育児をほぼ全て1人で担っているにもかかわらず、収入がないという1点だけで夫に見下され、尊厳を削る言葉を投げかけられ、それに反論もできない…。
家庭内、夫婦間とは思えない恐ろしい上下関係ではないでしょうか。
「専業主婦は夫より下」
父の言葉や態度から、建前はどうあれ、それが「夫」の本音であり、社会の価値観なのだと、子どものころから刷り込まれてきたように思います。
私は世の夫の常套句である「「誰が食わせてやってると思ってるんだ」」という言葉が心底嫌いで、自分がこの言葉を夫に言われようものなら離婚一択だと考えています。だから、そう言わせないために、夫婦のパワーバランスを対等にする努力をしているのです。
専業主婦の母が家庭にいること/いないこと
それでも私は、専業主婦の母がいてくれたおかげで、幸せな子ども時代を過ごしました。
今、共働きで子どもを育てながら、当時を振り返って思うのは、精神的にも時間的にもゆとりのある母親がそばにいることは、子どもにとって唯一無二の価値があるということです。
子ども時代の私のそばにはいつも母がいてくれたので、私はそれにすっかり甘え、安心しきって過ごしていました。(家計は厳しく、その面では満たされていませんでしたが…)
反面、今の私はどうでしょう。
生後半年の子どもを保育園に託して仕事復帰。「ママがいい」と泣かれても振り返らず、遅刻回避のため職場へ急ぐ。保育園や小学校への忘れ物や連絡帳の記入漏れもしばしば…。
平日はいつも仕事と時間に追われ、子どもに一番多くかけている言葉は多分「急いで」と「ちょっと待って」。仕事を休めるのは、子どもが体調を崩したときだけです。
夫婦関係はほぼ対等で、お互いに仕事にも家事・育児にも、自分たちなりに邁進できていますが、一方で、子どもにはそれなりの負担をかけ、不満を抱かせていることでしょう。
私は「自分のため」「夫婦のため」に共働きを選んだ
たった数年の子育て期間に、子どもだけを見てやれない歯がゆさはあります。
でも、今しかできない仕事もあり、今しか積めないキャリアもある。
「共働き」というライフスタイルは、結局は親自身のためにあるのかもしれません。
子どもが手を離れた後、まだまだ長い人生を支えてくれるのは、仕事とパートナーです。
専業主婦(夫)がいる家庭の方が、子どもは幸せかもしれないのに、それを選べない、選ばないのは、私の場合「自分の人生を生きるため」に、ほかならないのです。
【参考】
■ リクルートワークス研究所「仕事と育児の両立環境を整えないと、専業主婦世帯も子供が持ちにくくなる」
■ iyomemo(いよめも)「共働きor専業主婦どちらがいい?世帯の割合やメリット&デメリットを徹底比較!」
■ with class -講談社公式「ワーママと専業主婦、どちらも経験したママたちが語る“現実”」
■ ピナイ家事ラボ「年収1000万の夫は専業主婦の家事を手伝わなければいけないのか?」
■ 【男性育休】当事者インタビュー①:~夫、育休取得編~