「ボディポジティブでいたい!」けど「痩せたい」のは矛盾?

「ボディポジティブでいたい!」けど「痩せたい」のは矛盾?

「ボディポジティブでいたい!」けど「痩せたい」のは矛盾?

フリーライターの小林なつめです。

 

「白を着ない」私を変えた子どものひと言

記事にも何度か書いていますが、私は女性にしては肩幅が広く、がっしりした体型です。

振り返ってみると、中学生くらいから、当時は標準体型だったにもかかわらず「自分は太っている方だ」と思うようになり、着る服にさまざまなNGを設けるようになりました。

NGの一つが「白や白っぽい服装」です。白い服はほとんど持たず、黒っぽい服ばかり着るようになりました。「白は膨張色で、より太って見える」という思い込みがあったからです。

 

でも最近、たまたま白い服を着て学校に出勤したところ、子どもが「先生の服、かわいいね」と褒めてくれました。

この子はいつも、持ち物やファッションなどで、私のことを褒めてくれます。だから今考えれば、この子の「褒め言葉」は、私に好意を伝えてくれるための一手段だったのでしょう。

ただ、私は彼女のこのひと言で「私も白を着ていいんだ」と、選択肢を増やしてもらったのです。「太っていたって、着る服の色を制限する必要なんてない」と、視界が広がりました。

 

「ボディポジティブでいたい!」だけど…

私は常々「ボディポジティブでいたい」と思っています。

ボディポジティブとは、ありのままの自分の体を前向きに受け入れ、愛すること。社会の美の基準に囚われずに、どんな体型、容姿も人として美しいのだとする考え方です。

「どんな自分でも、かけがえない自分として好きでいたい!」私はボディポジティブという概念を知る前からそう思っていて、基本的には自分の顔も体も好ましく感じています。

でも、そう前向きではいられないときもあります。

 

実は、去年の夏よりも体重が5㎏近く増えてしまい、自分のイメージを超えて膨らみ始めた体型が気になり、本格的に運動を始めました。

自分の好きな自分でいたい、ありのままの姿を受け入れたいと思っているのに、やっぱり体型を気にしてしまっている自分がいます。

私の場合、他人の視線よりも、自分の視線が気になってしまうようです。

世間の美の基準や理想、例えば美容体重を目指したことは一度もないし、意識したことすらありませんが、「自分の好きな自分」像があり、そこからは外れたくないと思っています。

でもこれって「ボディポジティブ」の精神から外れているのでは…?少し太ったくらいで自分を受け入れられず、減量しようとするのって、ルッキズムの観点からは、どうなんだろう。

 

ルッキズムは社会にかけられた呪い

思想と行動の矛盾にモヤモヤしていたとき、犬山紙子氏の『女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから』を読みました。

ルッキズムについて書かれた章に、見た目を「気にしてしまうのは当然で、文化がそれを強く要請している。それに従わないと不利になることもある。」とありました。

「ルッキズムにとらわれるべきでない」のではなく「ルッキズムにとらわれざるを得ない状況がある」と、理解する方が大切だと。

私もルッキズムにとらわれている、そしてそれは現代日本の社会や文化に内面化されたものなのだなあと自覚しました。

 

また、太田啓子氏の『いばらの道の男の子たちへ』では、美容やファッションについて、田中俊之氏が「『ねばならない』という同調圧力なのか、自分が自己表現としてそういうことをしたいのか…」と語った一文がありました。

私が好きな自分は、あくまでも自分の基準に合った自分で、世間の基準によるものではありません。

自分の好きな自分でいるための努力は、メイクやファッションによる自己表現と同じジャンルだと捉えていいのかも、と思えました。

社会の理想ではなく、自分の理想を目指すのが、「私なりのボディポジティブ」なのかもしれません。

 

【参考】

『女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから』犬山 紙子/[著] ディスカヴァー・トゥエンティワン 2024.10

『いばらの道の男の子たちへ ジェンダーレス時代の男の子育児論』太田 啓子/著 光文社 2024.6

■ 早稲田ウィークリー「ボディ・ポジティブの矛盾とは? 自分らしく生きるための視点を提案します

 

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