フリーライターの小林なつめです。
私は女子大出身だ。でも母校を選んだのは「女子大だったから」ではない。たまたまそうだったというだけだ。実家から通える距離にある、私の偏差値に見合った、希望の学部のある大学が女子大だったという、ただそれだけ。
母校の女子大で著者の心に残った2つの言葉
そうやって選んだ母校ではあるが、1人の男性教授から言われて、心に残っている言葉が2つある。
1つは「男性がいない環境で初めて、女性はリーダーシップを握れる。その環境を満喫してほしい」という言葉だ。
当時「日本に男女差別なんてあるの…?」くらいに思っていた私にはあまりピンとこなかったが、「そういえば、◯◯長やリーダーの役職には男子がつくことが多いかも?」という気づきとなった。
2つめは「世界のリーダーが女性ばかりになれば、世界から戦争はなくなる」という言葉だ。教授がこの発言をした理由や意図は覚えていないのだが、私は「男性らしさ」とされる暴力性や攻撃性が、政治から排除されれば戦争はなくなる…という意味合いだと解釈している。
2つめの言葉については、同じことが柚木麻子氏の小説『らんたん』でも主張されている。曰く「女が手を取り合えば、男はいつか戦争ができなくなる」。女性同士の絆(シスターフッド)が世界を変えるという意味で、とても勇気づけられる言葉だ。
女子大が創設された理由から生じる1つの疑問
『らんたん』にも登場するが、女子大が創設された理由は、女子が高等教育を受けられる学校が日本になかったからだ。
「男子大」がないのは、「男子」とつけるまでもなく、大学が男子のためだけの場所だったから。そこで、女子のための大学として、女子大が設置されるに至った。
この経緯を考えると、「現代ではもう女子大は不要なのでは?」という疑問が浮かぶ。たしかに普通の「大学」にも女子が普通に入れるようになった現代では、女子大はその役目を終えたかのように思える。
しかし、私はまだ「日本にはもう女子大は不要」と言い切れる段階にないと感じる。そこで「女子大って何のためにあるのか」、現代における意義を2つのポイントから考察した。
現代における女子大の存在意義2つ
・ジェンダーバイアスの自覚や解放
戦後の新学制により、女子も希望大学に入学できるようになった。しかし、日本社会における「男女平等」が実現したわけではない。
入学前からジェンダーバイアスに悩まされてきた学生は、女子大でその呪縛から解放され、共学の大学に通うよりも充実した大学生活が送れるだろう。また、女子大で初めてジェンダーバイアスを自覚する学生もいるのではないだろうか。
・フラットなジェンダー観の形成
女性だけの環境で過ごしていると、ジェンダーバイアスや男性の視線を気にする必要がない。「女性だから」という理由の抑圧がなく、男性への余計な遠慮や我慢、忖度も無用だ。
女子大で得られる唯一無二の経験や自信、そして培われた価値観は、社会に出てからも彼女たちを支えるだろう。また、フラットなジェンダー観は、これからの社会に不可欠な感覚だ。キャリアを築くうえでも、心強い武器となってくれるだろう。
【参考】
◆ 女子大って、今の時代に必要ですか? 日本女子大学の篠原聡子学長に聞く | HuffPost
◆ 資料1:日本の女子高等教育の歴史 | 東京大学男女共同参画室
◆ コラム3 高等女学校における良妻賢母教育 | 内閣府男女共同参画局