フリーライターの小林なつめです。
私も夫もマザコンだと思う
あなたはマザコンですか?自分は違うと、胸を張って言えますか?
私自身は、マザコンかというと、正直いって答えは「YES」だと思う。
私は母を信頼しているし、尊敬している。母と遊びに行ったり、おしゃべりをしたりするのは、ただシンプルに楽しい。
私は、2人目の出産・育児をするために、母の手を頼って地元にUターンしてきた。子どもが発熱したときには、真っ先に母にスケジュールを聞き、助けを求める。
一方、我が夫はどうだろう。自分の母親にそっけない態度を取り、文句ばかり言う夫だが、私からするとやはり彼もマザコンだ。
夫は自宅では家事育児を率先してやる、頼りがいのある父親だが、実家に帰ると基本的には動かない。そっけない態度や文句も、思春期の少年のそれと大差なくみえる。
態度や行動が違うだけで、私も夫も結局は、母親に甘えているのだ。でも、このように考えると、「人類総マザコン」なのではないかとすら思えてくる。
「人類総マザコン」説
先日ぼんやりTVを眺めていたところ、そんな私の考えを裏付ける流れを目にした。
「オールスター合唱バトル」という番組で、歌手やアイドル、芸人といった、いわば歌のプロたちが、チームを作って合唱を競うのだが、そんな中に異色の「ママ合唱団」なるチームがあった。
メンバーには元歌手やアイドルもいたが、共通点は「ママであること」それだけだ。
「ママ合唱団」は、1曲目に母の愛を連想させる「アイノカタチ」という曲で、審査員含む会場中を感涙させ、他のチームを凌ぐ高得点を獲得した。
私も彼女たちと同じで、日々子育てに翻弄されている立場なので、涙が出そうなくらい感動した。しかし、冷静に考えてみると、彼女たちの合唱レベルは、群を抜いて高いわけではなかった(と思う)。
つまり彼女たちは「ママであること」を最大の武器としており、それを最大限に表現できる楽曲とのマッチングにより、最大の効果を発揮したのだ。
その証拠に2曲目の評価は振るわなかった。これは、2曲目が「感動させる」系統の楽曲でなかったからと推測される。
この流れを見た私の感想は「みんな、ママ好きだな~」だ。私も人のことはいえないが、人間はみんな、自分を産んでくれた属性である「ママ」を愛してやまないのかもしれない。
ママを特別視・神格化する「母性神話」
残念ながら、こういった「ママ」への特別な感情や視線は、ネガティブな方向にも作用してしまう。その最たるものが「母性神話」だ。
母性神話とは、女性は生まれながらにして母性愛や母性本能を持っており、母親は滅私して子に尽くすのが当たり前という考え方だ。
私自身、出産前には、この考え方に翻弄され、葛藤した。「出産したら、私は『良き』母親になるのだ」「今までの私個人とはさよならなのだ」そういう強い思い込みがあった。
でも、私は例えば自分の母親のように「母親らしい母親」になれる気が、まるでしなかった。考えれば考えるほど、無理だと感じた。
そしてついには考えることをやめ、「母親らしくなくていい。自分らしい母親になろう」と決め、現在まで子どもたちを育ててきた。
「母親らしさ」にこだわるのは、かつて母親だった人たち
こんな私を、夫や子どもたちは、ありのまま受け入れてくれている。
受け入れてくれないのは、「昔、母親だった人たち」だ。例えば私の母や夫の母は、私を「母親らしくない」と言う。「お母さんだとはとても思えない」と。
でも私は子どもたちの女親であり、生活面でも経済面でも、子どもを育てているのは間違いない。それなのになぜ「母親らしくあること」を求められるのだろうか。
きっと彼女たちは自分を「母親」という型にはめて、生きてきたのだろう。だから、型にはまっていない、はまることのできない私を、「それは違う」と否定するのだ。
でも、「母親」という枠の中にいる女性たちだって、皆それぞれに違うではないか。実際、私の母と夫の母はまるで違うし、子どもの育て方、母としての在り方も全く違った。
母性神話は、女性はもちろん男性の足をも引っ張る
私は正直、母性神話は女性たちの足かせにしかならないと考えている。
子育てに向いている女性がいれば、向いていない女性もいる。「母親らしい」母親がいれば、そうではない母親もいる。もちろん、子どもを持つ女性がいれば、持たない女性もいる。
母性神話は、このように多様な女性の生き方を許してくれない。
女性だけではない。母性神話は、男性の足かせにもなってしまう。なぜなら母性は母親にしかないもので、父親から子育ての機会を取り上げかねないからだ。
マザコン的感情を否定はしない。しかし自分が甘えたいからと、女性を「母親枠」に縛り付けるのは、どこか違うのではないかと思う。
母になることが「何かを奪われること」の始まりになるような社会は、変わるべきだろう。
【参考】
『「母になること」の社会学 子育てのはじまりはフェミニズムの終わりか ( 関西学院大学研究叢書 第252編 )』村田 泰子著 昭和堂 2023.3