驕り高ぶりから自分勝手な行動になっていないか(論語・八佾3-1)

驕り高ぶりから自分勝手な行動になっていないか(論語・八佾3-1)

驕り高ぶりから自分勝手な行動になっていないか(論語・八佾3-1)|リアンブルーコーチング舎

こんにちは。多賀です。

一気に冷え込んできました。今年もあと1カ月。楽しんでいきましょう。

さて、月曜日「論語とコーチング」です。


驕り高ぶりから自分勝手な行動になっていないか(論語・八佾3-1)論語の人気記事はこちら。「目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(Gakuji1-2)」

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孔子 、季氏を謂(い)う、八佾(はちいつ)庭に舞わしむ。是をも忍ぶべくんば、いずれをか忍ぶからざらんや。(Hachiitsu3-1)

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孔子が季氏を批判して言われた。
「季氏は大夫の立場でありながら、王だけが許されている八佾(64人)の舞楽を堂々と自分の庭で舞わせた。
これを我慢することができないのだから、他のことも我慢することなく何でもしてしまうだろう」

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本来、王しか許されていないことを、大夫である季氏が躊躇なくやっていた。
強いうぬぼれや驕りを持っている証拠である。
孔子は、この先も好き勝手にやっていくだろうと、厳しく批判した。

時代が揺れ動く中で、このことが民衆や政権へどう影響していくのかを思うと、自分勝手な行動が頭に来たのだろう。

 

<論語とコーチング>

自分が上司よりも成績を上げていると、勘違いして驕り高ぶるような態度をとってしまうものだ。
そのうちに、何でも自分の思い通りに動かそうとして行くだろう。
これを周りはどう見ているか、一度顔を上げてみてみよう。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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