自分がいなくなっても引き継いで貰えるものかどうか考えよう(論語 里仁4-20)

自分がいなくなっても引き継いで貰えるものかどうか考えよう(論語 里仁4-20)

自分がいなくなっても引き継いで貰えるものかどうか考えよう(論語 里仁4-20)こんにちは。多賀です。

2024年度の新入社員、コミュニケーション研修の内容にうーんうーんと頭を捻っている毎日です。
さて、論語とコーチングです。

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子曰わく、三年父の道を改むる無きは、孝と謂う可し。(rijin4-20)

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先師が言われた。
「亡くなって三年間、父のやり方を変える必要がなければ、子は孝行することができるのだ」

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あの上司と一緒に過ごしたのも、 自分にとって意味のあることであったと 大事にすること?!(論語・学而1-11)」で、同じものが書かれている。

ところが改めて調べてみると、モヤモヤしていた部分がスッキリとした。
その部分とは「父のやり方がひどかったとしても、変えないのが孝行なのか?」問題。当初論語を学んだときは、たとえ親が泥棒であっても・・・と言われ、ほとんどの訳は細かくは書いてないが、同じ視点の訳だった。そんなことがあるだろうか?
それを解決してくれたのが、こちらのサイト「論語詳解086里仁篇第四(20)三年父の道を’ | 『論語』全文・現代語訳

そうなのだ。逆説的に見た方が筋が通る。本当にありがとうございます。
ということで、今回はこの訳をお借りした。

 

<論語とコーチング> (※論語を素直に解釈したわけではなく、あくまでも超訳・私見です)

リーダーを引継いだ時、部下がやり方やプロジェクトをそのまま残してくれるのであれば、リーダーとして認められていたということだ。そうして部下が成果を出せたのなら嬉しいじゃないか。

自分がいなくなっても引き継いで貰えるものかどうか考えよう。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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