目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(論語・学而1-2)

目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(論語・学而1-2)

目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう? (学而1-2)

有子いわく、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すを好むものはすくなし。
上を犯すことを好まずして乱をなすを好むものはいまだ之れ有らざるなり。
君子は本を務む、本立ちて道生ず。
高弟なるものは、其れ仁をなすの本か  (Gakuji1-2)

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有子(あざな子有)先生が言った。
目上の人に対し、謙虚で素直に学ぼうとするもので、無意味に逆らおうとする人はすくない。

そのような人は、世の中に対しても乱すようなことは好まない。

逆に言えば、目上となる人は、そのように思えるような自分を律し、世の中や周りのことを考え、優先しているような尊敬される人である。

何事でも、根本のこと(ここでは、目上の人の苦労と我慢、努力に敬意を払うこと)に努力するのが、まず大事だ。

そうすれば、どこかに自分に居場所があるに違いないと、さまよい続ける必要はなく、自分の目指す道はおのずと生まれてくる。見えてくる。

目上の人に対する素直さが、仁に近づくひとつの方法かもしれない。

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「なぜ、年長者に敬意を払わなくてはいけないと思う?」と問われたことがある。
うまく答えることができなかった。
「それはね、長く生きている分、我慢も長くしてきたからなんだよ」と言われ、ふうむ、確かにそういう側面もあるなぁと、とうなづいた。そういう風に考えたことがなかったからだ。

何かを成した人だから、敬意を払うのではなく、我慢してきた人だと考えれば、少しだけでも敬意の気持ちが湧く気もする。

一方で年上だから、年長者だからというだけで、それを権力にして、周りをないがしろにしているような人を、尊敬できるわけないのも事実。

何をやっても年下だから尊敬しろと、横柄な態度を取るのではなく、手本となるような存在でいたいものだ。

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追記:2022.02.06

目上の人だからといって、無条件に敬うのは正直難しい。
なので一旦、目上かどうかは外し、人生を重ねてきた一人の人間としてみることにしている。

例えば、大声で自分のことを話しまくる人。この人はどんな人生を歩んできたのだろうか。
何がこの人を、そういう行動に駆り立てているのだろう。そうなったきっかけは?

もしこの大きな声を出せるという能力を、他にもっと有効的・効率的に使うことができれば、何に使えるだろう?
本人はその能力に気づいているのだろうか?

そんな風に考えていると、不思議と景色が変わってくるのだ。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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