こんにちは。多賀です。
論語とコーチングの結びつきについて、いつか書いてみたいと思いながら、なかなか手が出せずにいましたが、とにかく下手でも超訳でもいいので書き始めてみたいと思います。
子曰(のたま)わく、学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。(Gakuji1-1-1)
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孔子先生はおっしゃった。
人格にすぐれた上司や先輩や後輩、お取引先・お客様、はたまた本やテレビ、インターネットなどから得た、自分を磨くための知識を実際に使ってみて、自分のものできる。
なんと喜ぶべきことじゃないかな。
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コーチングでは、「ありたい自分の姿」を目指します。
最初は「ありたい姿」に気づかずに「なりたい姿」を追いかけても、やっていくうちに、「なりたい姿」と「ありたい姿」がだんだんと一致してきて、「ああ、自分はこうありたいんだ!」とわかる瞬間がきます。
一方で、コーチングでは「知ってる」と「出来る」の溝をどれだけ埋めることが出来るか?が命題でもあります。
だから、実践してこそ意義がある。
そこに2500年前から、みんな引っかかっていました。それほど、この溝を埋めるのは大変なことなんですね。
でも、この溝が少しでも埋まったらすごいこと!
だから、ちょっと続けられなくても、何度でもやり直していこう。
~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~