能力やスキルが素晴らしくても、そこに思いやりの心がなければ、何の価値があるだろうか!(論語・八佾3-3)

能力やスキルが素晴らしくても、そこに思いやりの心がなければ、何の価値があるだろうか!(論語・八佾3-3)

能力やスキルが素晴らしくても、そこに思いやりの心がなければ、何の価値があるだろうか!(論語・八佾3-3)|リアンブルーコーチング舎

こんにちは。多賀です。

各地で大雪による被害が広がっており、関係者の皆様には心からお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧を願っています。

さて、2022年最後の月曜日「論語とコーチング」です。


能力やスキルが素晴らしくても、そこに思いやりの心がなければ、何の価値があるだろうか!(論語・八佾3-3)論語の人気記事はこちら。「目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(Gakuji1-2)」

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子曰わく、人にして仁ならずんば、禮(れい)を如何(いか)んせん。人にして仁ならずんば、樂(がく)を如何んせん。(Hachiitsu3-3)

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先師が言われた。
「人であって仁(思いやり)の心がなくては、形式的な礼がなんになるだろう。
人であって仁の心がなくては、音楽を奏してもなんになるであろう」

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この言葉も論語の中では比較的有名な言葉。
孔子の教えでは、礼と楽が中心をなしており、礼と同じくらいに、儀式と共にある音楽を重要視していたと教わった。

ひるがえって現在、作法やマナーを中心に相手に対する思いやりの心を大事にするのは、忠孝と同じく論語を取り入れてきた歴史を感じさせる。

これもまた大国を治めるために必要なことだったのだろう。

形が心になり、心が形になって表現される。
その行動・態度、形や型が素晴らしい中に、相手に対する思いやりの心が入っているのか?

現在のビジネスにおいてどんな関係性でも思いやりの心を持ち続け、行うのは至難であり、少し気を緩めたり成果を早めようとすると、対等な関係性を欠いてしまう。
だからこそ、忘れないようにしたいものだ。

 

<論語とコーチング>

あなたの部下や後輩、取引先に対する行動や態度が、どんなに素晴らしくても、
また能力やスキルが素晴らしくても、そこに思いやりの心がなければ、何の価値があるだろうか。

あなたの思いやりの心は間違っていないのだ。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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