
フリーライターの小林なつめです。
以前、我が家の夫のフキハラ(不機嫌ハラスメント)について、「フキハラと感情労働について(続編)」という記事を書きました。
この記事で私は「夫は、自分は家庭では感情労働ゼロでいきたいのに、私には感情労働を求めている」という気づきを綴り、「それも受け入れるしかないのかも」とくくりました。
でも、自分が家庭内の「感情労働(メンタルケア)担当」なのだと悟ってから、日常のあらゆる場面で、その役目を果たさなければならないことが、日に日に億劫になっていきました。
気づいていないうちは平気でやれたことも、「これは私が感情労働(メンタルケア)担当だからやらなければならない仕事」だと思うと、しんどく感じてしまうのです。
(余談ですが、「気づいていない方が幸せだった」、「いっそ知らないままでいたかった」と思うことって、わりとたくさんありますよね…)
そもそも私たち夫婦は、基本的に、私が話し始めなければ、会話すら始まりません。まずは私が口火を切り、ヨイショに次ぐヨイショで、会話を軌道に乗せる必要があるのです。
でも、夫婦のこと、子どものこと、家族みんなのことは、夫婦共通のミッションなのに、なぜいつもいつも私が1人でプロジェクトを立ち上げ、回さなければならないのか…?
考えれば考えるほど、これまで蓄積してきた不満が噴出してきます。
結果、私は夫に話しかける気力がなくなってしまったのです。
こうなると悪循環です。
阿古 真理氏の『家事は大変って気づきましたか?』にある通り「家事はコミュニケーション」そのもの。家事育児をシェアするには、いやでも夫婦の会話が欠かせません。
私が会話を始めない限り、夫から始めることはないので、シンプルに夫婦のコミュニケーションの機会が激減します。
仕事に限らず、どんなプロジェクトでも、報連相やコミュニケーションが不足すれば、円滑には進められません。
家庭内はもちろん、子どもの保育園や学校に関わる事案でもミスや失敗が発生し、夫婦仲だけでなく、家庭内の環境や雰囲気も、悪化の一途をたどるでしょう。
実際、そのきざしがあり、一番に被害者を受けるのは、親の庇護下にある子どもたちだということに気づかされました。でもそれは、私の望むことではありません。
だから私は、妥協点を見つけることにしました。
夫のいい面だけを見るように、視点を変えてみたのです。
少なくともうちの夫は家事育児をします。私と変わらないくらいします。意地っ張りで「NO」と言わない(言えない)人なので、お願いすれば大抵のことに応えてくれます。
それならば…夫には家事育児を最大限させよう。そうしておいて、それを「申し訳ない」なんて1㎜も思わないようにしよう。と私は考えました。
その代わり、私はコミュニケーション(メンタルケア)担当と、割り切ることにしたのです。
私たち夫婦は家事育児という家庭内労働をシェアできていましたが、一度、感情労働の負担の重さを自覚したことで、なんだかとても精神的にすり減ってしまっていました。
でも、考え方を変えてみると、「まだしばらくはやれそう」と思えるようになりました。
とはいえこれは我が家の、私と夫の1ケースに過ぎません。
世の多くの女性(妻であり母であり…あるいはそのどれでもない女性たち)が、家庭や職場、さまざまな環境で「感情労働(メンタルケア)担当」を引き受けています。
気づかぬも地獄、気づくも地獄の事実かもしれませんが、場合によっては「手放したって、いいんだよ~」と、こっそり伝えたいと思ってしまいます。
【参考】
『家事は大変って気づきましたか?』阿古 真理/著 亜紀書房 2022.10
https://x.com/zamamiyagarei/status/1978615773078970828?s=46&t=2a_s8DSVk9GcJqjRrF1K9A