フリーライターの小林なつめです。
妻が「察してちゃん」になる背景
TwitterなどのSNSで時折巻き起こる、夫と妻の「家事・育児分担論争」。その様子を観察していると、家事・育児をやらない夫にイラ立つ妻を揶揄する「察してちゃん」というワードを度々見かける。
具体例を挙げよう。例えば子どもが食事をした後の、汚れたテーブル。すぐに拭かなければ、ご飯粒などの食べかすでカピカピになってしまう。こうなると汚れを落とすのに苦労するので、その前に拭かなくてはならない。
いつも食後にテーブルを拭いている妻は、下の子のおむつ替えで手が離せない。食後の夫はソファーに寝転がり、スマホに夢中。妻がおむつを替え終わり、食事の後片付けをしようとテーブルに戻ったら、すでに机はカピカピに…思わずため息をつき「前にも伝えたのに、なんでやってくれないの?見たらわかるでしょ!」と夫にイラ立つ。夫は「言ってくれないとわからない!!」と逆ギレ、夫婦げんかに発展…。
「察してちゃん」は悪なのか?
こういうケース、どちらかが悪いのだろうか?一見どちらも悪くないかも…?だから、こういった問題を取り上げる時、大抵の場合「妻側が伝える努力をするべき」という結論に落ち着く場合が多い。つまり「妻は「察してちゃん」でいちゃダメ!」ということだ。
何なら「妻は家事のできない夫に、やり方を手取り足取り教えてあげて。やってもらったらお礼も忘れずに!」とアドバイスする媒体すら見かける。
でも本当にそうなのか?なぜ「やってる側」(上の例だと、食事の後片付けも子どもの世話も、妻が1人でやっている)がさらにやること(夫にやってほしいことを伝える。しかも相手に配慮しながら)を増やさなくてはならないのか。このままでは妻側のタスクが増えるばかりではないか。歩み寄るべきは「その時に、より余裕のある方」ではないだろうか。
私も気づけば「察してちゃん」になっていた?
さて、私自身は元来不満でもなんでも、ため込まず口に出すタイプだ。不要なストレスはため込むだけ損だと考えており、「察してちゃん」になり得ない性格をしている。でも、小さい子どもを育てていると、夫に不満を伝えられる機会が限られる。特に0歳児がいる今は、夫婦2人で腰を据えて話をするタイミングがほぼない。伝える機会が得られないことで、私もいつの間にか「察してちゃん」になっていたかもしれない。
原因は、夜勤に参加しなくなった夫への不満だ。私は産後日が経つにつれ、ほとんど夜勤に参加しなくなった夫に、「また夜勤に参加して」と言い出せなかった。自分からは言えないから、夫に気づいてほしいと思っていたのだ。
「自分さえ我慢すれば…」「悪者になりたくない」という気持ち
「夜勤を同等に負担してほしい」というのは、ごく当然の主張だ。もし他の女性から夫の愚痴として相談されたら「ハッキリ文句を言った方がいい」と、息巻いて助言するだろう。しかし私自身、言えなかったのだ。「自分さえ我慢すれば丸く収まる」と、夫に遠慮、気兼ねしていた。言い出したが最後、こちらが悪者になってしまうのも嫌だった。
「悪者になる」のは、その時点で夜勤はほぼ100%私が担当していたためだ。私が夫に夜勤の負担を申し出たとして、夫からしたら「妻が黙ってやってくれていれば円満だったのに、余計なこと言うなよ…」という感想を持つのではないだろうか。
夫にとっては、私から負担を分けられても、得られるものは特にない。むしろマイナスかも。そう考えると、自分の主張が正当だと確信していても、とても言い出せなかった。
妻が「察してちゃん」になるさまざまな心情
私の場合は「夫にネガティブな感情を抱かれたくない」というのが原因だったけれど、妻が「察してちゃん」になってしまうのは、他にも色々な背景や理由、気持ちがあると思う。以下にいくつかのパターン別にまとめる。
・妻が専業主婦の場合 「専業なんだから、家事育児は完璧にやらないと」という気負いや、「夫に迷惑をかけられない」という遠慮がある。・夫の家事スキルが低い場合 「結局自分でやった方が早い」と、不満に思いつつ口をつぐんでしまう。・夫への期待が強い場合 夫が誠意や思いやりを自ら示してくれるかもと、あえて言わない。 |
【参考URL】
◆ 察してほしい妻に指示待ち夫…パートナーとのすれ違い、どう解消する?【犬山紙子×三瓶真理子】 – Woman type[ウーマンタイプ] | 女の転職type
◆ 「察して欲しい」vs「言わなきゃ分からない」、パートナー間のすれ違いはなぜ起こる? – オヤノミカタブログ