自己表現と他人の視線 ~アイドルの「赤リップ事件」に考える

自己表現と他人の視線 ~アイドルの「赤リップ事件」に考える

自己表現と他人の視線 ~アイドルの「赤リップ事件」に考えるフリーライターの小林なつめです。

 

アンジュルムの「赤リップ事件」とは

以前、私の好きなアイドルグループ、アンジュルムをテーマに「シスターフッドな関係性が魅力のアイドル「アンジュルム」という記事を書きました。

今回は、「現代をたくましく生き抜く、等身大の女性」を体現するアイドルグループ、アンジュルムを象徴するような「赤リップ事件」について、紹介します。

 

2018年に起きた「赤リップ事件」は、個人的には、アンジュルムというグループの方向性を決定づけた、大きな出来事でした。

事件の経緯を説明します。

当時15歳、メンバー最年少だった笠原桃奈さんが、ライブで赤いリップをつけていたところ、ファンに「メイクが濃い」「似合わない」「年相応でない」とバッシングを受けました。

その反応に対して、彼女は萎縮し「(赤いリップはやめて)年相応のメイクを目指す」とブログでコメントしています。

しかし、意外にも、そのブログに多数の「赤リップ」肯定や応援コメントが寄せられ、メンバーもそれに同調しました。

最終的には、当時グループのリーダーだった和田彩花さんが、ステージ上で、以下のような意思表明を行いました。

 

「みんな(メンバー)が、周りの目を気にせず、好きなリップを使ったりできたらいいなとすごく切実に思いました。

私はやっぱりアイドルというのは別に意図される型があるわけではなく、そこにハマることが正しいことではないと思うんですよ。

自分自身でいろんなものをプロデュースして、みんながいろんなことをできていけたらいいなと。桃菜がまた赤いリップとか、つけてくれたらいいなと思います」

 

自己表現を他人の視線が邪魔する

これは何も、アイドルに限った話ではないのではないでしょうか。

自己表現としての服装やヘアメイクのはずなのに、他人の視線を考えると、自分の思う理想や方向性から外れてしまう。

この傾向は、だんだん強まってきているように感じます。「絶対◯◯がいい」「△△こそ正義」という、世間的な正解を追い求める風潮になってきてはいないでしょうか。

このような社会では、自分に自信がないほど、自己表現が難しくなってしまいます。自分のありようを模索し、選択肢を持つにはどうすればいいのでしょう。

 

自分なりの哲学で「脱・他人の視線」

前述した、アンジュルムの元リーダーで、現在はアーティストとして活動している和田彩花さんは、大学での学びがきっかけで、世界の広さや価値観の多様さを知ったと語っています。

本を読むこと、歴史を紐解き、先人に学ぶことは、ファッションや自己表現とはかけ離れたことのように思えるかもしれません。

でも実際には、「知識を味方につける」ことで、自信がつき、他人の視線が気にならなくなる…そこまではいかなくても、自分なりの向き合い方、落としどころを探せるようにはなるのではないでしょうか。

私自身、年を重ねれば重ねるほど、「学び」「知識」「知見」から自分なりに形成してきた、「己の哲学」ほどの財産はないと考えるようになりました。

「他人の視線」は、時に自己表現や、自分の人生そのものを邪魔してくることがあります。そんなときに戦える武器を、日ごろから鍛えておきたいものです。

 

 

参考:
アンジュルム メンバー オフィシャルブログ 「撮影パート2 笠原桃奈」
アンジュルム メンバー オフィシャルブログ 「感謝 笠原桃奈l
リップの色を選べることだけがアイドルの自由なんかじゃない|浅井眠|note
和田彩花は女でありアイドルだ。アイドルとして女性のあり方を問う覚悟|She is [シーイズ]
和田彩花とアイドルの自由意思を考える(2/2) | 佐々木敦&南波一海の「聴くなら聞かねば!」 2回目 前編 – 音楽ナタリー コラム
<わたしたちと音楽 Vol. 46>和田彩花 アイドルとフェミニズムの間で考えていたこと | Special | Billboard JAPAN
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