何かが起こらないか、誰かがやってくれないか、ただ願うことだけを一生懸命やっても仕方がない(論語・八佾3-12)

何かが起こらないか、誰かがやってくれないか、ただ願うことだけを一生懸命やっても仕方がない(論語・八佾3-12)

何かが起こらないか、誰かがやってくれないか、ただ願うことだけを一生懸命やっても仕方がない(論語・八佾3-12)|リアンブルーコーチング舎

こんにちは。多賀です。

2月もあっという間に終わりです。
陽射しは日に日に強く、花が咲く準備をしているのを感じられます。

さて、月曜日「論語とコーチング」です。

論語の人気記事はこちら。目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(Gakuji1-2)

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祭ること在ますが如くし、神を祭ること神在が如くす。子曰わく、吾祭に興(あずか)らざれば、祭らざるが如し。(Hachiitsu3-12)

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人々が先祖を祭るには、先祖が眼の前にいるように、神を祭るには、神が眼の前にいるように祭っていた。
孔子先生がおっしゃった。
「私は祭りに関心が向かないので、祭らないような気がする」

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この時代、人々はすぐに病気にかかったり、死というものが近かったりした。
それもあって皇帝達は、先祖や神を祭ることに莫大な費用と時間をかけていたそうだ。

孔子はほかの文章でも出ていたように、神のことは私は知らない、というスタンスを取っている。

・社員が耐えているだけの会議になっていないか(論語・八佾3-10)

孔子は「思いやり」を大事にしているが、「神」の存在はあまり信じていないかったようである。

 

<論語とコーチング>

何かが起こらないか、誰かがやってくれないか、ただ願うことだけを一生懸命やっても仕方がない。
そこに頼るよりも、小さなことでも、”今”自分が出来ることをしよう。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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