こんにちは。多賀です。
11月も最終週。タイヤ交換をお願いして、近くでランチしながら書いています。
さて、月曜日「論語とコーチング」です。
論語の人気記事はこちら。「目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(Gakuji1-2)」
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子曰わく、其の鬼(き)に非(あら)ずして之を祭(まつる)は諂(へつらい)いなり。義を見て爲(な)さざるは勇なきなり。(Isei2-24)
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先師が言われた。
「自分の先祖でもないのに祭るのは、諂いである。正義だと知りながら行わないのは、勇気がないのだ」
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「義を見て爲(な)さざるは勇なきなり」は、自分や相手を奮い立だせるためによく使われている有名な一文。
ただ、孔子の過ごした時代背景を考えると、孔子自身も行わないことを選ぶことも多かったと思う。
どこに記されていたのかすぐに出てはこないが、論語の中にも「国が乱れ荒れている時は大人しくしているのがいい」とあった。
へつらいであること、勇気がないこと、それを自覚して置くことが大事なのではないだろうか?
孔子の中には少なくとも「○○だから仕方ない、あきらめよう」よりも、「いつか何とかわかってもらえる日が来る」「私が広めようとしている思想は国のために大事なのだ」という考えが大きかったように感じる。
まあ、これも弟子たちが敢えてそういう部分を除いてまとめたのかもしれないが。
<論語とコーチング>
自分の信念と違っていることでも、周りが求めているからと合わせてしまうのは、自分をいい人だと見せようとしているだけかもしれない。
やった方がいいことだとわかっていながら、やらないのは勇気がないということだ。(タイミングも大事だけどね)
~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~