リーダーの持つエゴやプライドが、人を傷つけることで成り立つのであれば、そこに価値はない。(論語・八佾3-7)

リーダーの持つエゴやプライドが、人を傷つけることで成り立つのであれば、そこに価値はない。(論語・八佾3-7)

リーダーの持つエゴやプライドが、人を傷つけることで成り立つのであれば、そこに価値はない。(論語・八佾3-7)|リアンブルーコーチング舎

こんにちは。多賀です。

何十年かに一度の寒波が向かってきているそうだ。
ここ数年の出来事は、多少なりとも気象に影響していそうだなぁなどと考えていたりもする月曜日。

論語とコーチングです。

リーダーの持つエゴやプライドが、人を傷つけることで成り立つのであれば、そこに価値はない。(論語・八佾3-7)論語の人気記事はこちら。「目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(Gakuji1-2)」

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子曰(のたま)わく、君子は争う所無し。
必ずや射か。
揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り下り、而(しこう)して飲ましむ。
その争いや君子なり。(Hachiitsu3-7)

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先師が言われた。
「君子は争わない。争うのは、ただ礼射ぐらいであろうか。
互いに会釈して上り下り、射が終ると、互いに酒を飲み交わす。それこそ君子の争というものだ」

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君子というのは、争うとしても礼儀を持って相手を尊敬して争うもので、争った後は一緒に打ち解け合うものだ、という「相手を傷つけあう争いをしているのは、君子ではない」という孔子の想い。

日本では剣道や囲碁将棋などで、その姿を見ることができる。

戦乱の世で、人道的案行いが減ってもいただろう。その中で人間の動物的な「競争・生存本能」をどうしたら抑えることができるのかを考え、「君主」という理想を掲げたのだ。

リーダーの持つエゴやプライドが、人を傷つけることで成り立つのであれば、そこに価値はない。

 

<論語とコーチング>

リーダーが争うとしたら、相手への礼儀や尊敬の念を持っており、争い終わったらお互いにいいライバルとして打ち解け合う。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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