みんな無知であることを恐れている中で、知らないと言えること(論語・為政2-17)

みんな無知であることを恐れている中で、知らないと言えること(論語・為政2-17)

みんな無知であることを恐れている中で、知らないと言えること(論語・為政2-17)

こんにちは。多賀です。

今年の秋は、連休が多いですね。先月のシルバーウィークからなかなか落ち着きませんが、気が付けば秋も深まっていく気配を感じます。

さて、スポーツの日の月曜日「論語とコーチング」です。

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子曰わく、由 、女に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると爲し、知らざるを知らずと爲す。是れ知るなり。(Isei2-17)

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先師が言われた。
「由(子由)、お前に『知る』ということを教えようか。知っていることは知っている、知らないことは知らないと素直にいえるのが、本当に知るということだ」

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新入社員研修では「はじめはわからないことが当たり前だから、わからないときは素直に聞くように」と教えられることが多い。私もそのように伝えている。

しかし、時間が経つにつれ、実際に聞きに行くと「そんなこともわからないのか」と注意されることが多くなり、だんだんと訊きにくい状況になる。

社会人や成人の時間が長くなるほど、「こんなの常識だ」が増え、知らないということが出来なくなる。
特に現在の情報化社会では、「情弱」と言われるほど、知っているか知らないかは、人の価値を判断する材料によりなっているようだ。

片方で、自分のプライドが、無知を許さないために「知ったつもり」「知ったかぶり」が起こっているケースもあるだろう。

この論語の場合は「無知の知」に立てるかという視点も入っていそうだ。
「そのことについて知らない」「その分野に対しては無知だ」と言えてはじめて、知るという入口に立てる。

 

<論語とコーチング>

「知らない」「無知だ」ことに、みんな恐れている中で、素直に「知らない」「わからない」と言えること。
「だから教えて欲しい」と言えること。知らない、わからないことに、必要以上に劣等感を持つ必要はないのだ。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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