諦めずに続けていけるか、試されているのかもしれない。いずれ真のリーダーになれるかどうか(論語・八佾3-24)

諦めずに続けていけるか、試されているのかもしれない。いずれ真のリーダーになれるかどうか(論語・八佾3-24)

諦めずに続けていけるか、試されているのかもしれない。いずれ真のリーダーになれるかどうか(論語・八佾3-24)

 

こんにちは。多賀です。

残暑が厳しいですね。
みなさまご自愛ください。

さて、論語とコーチングです。

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儀の封人(ほうじん)、見(まみ)えんことを請(こ)う。曰わく、君子の斯に至るや、吾未だ嘗て見えることを得ずんばあらざるなり。従者これを見えしむ。
出でて曰わく、二三子(にさんし)何ぞ喪(さまよ)うことを患(うれ)えんや。
天下の道無きや久し。
天将(まさ)に夫子を以て木鐸(ぼくたつ)と爲さんとす。   (Hachiitsu3-24)

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衛の国境にある儀の関守が、孔子にお目にかかりたいと言った。
言うには「立派な人物がここに来られたとき、私はまだ一度もお目に掛かれなかったことはありませんでした」と。お供の者が先師にとりついだ。
関守が出て来て、居合わせた弟子達に
「皆さんはどうして各地をまわっていることを気に病んでいるのか。
天下に道の行われなくなって久しくなるが、天は先生を木鐸(お触れなどを伝えるときに、集合の合図として鳴らした鐘のこと)にしようとしているのだろう。」
と語った。

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孔子達が諸国を行脚していた時のお話。
どこに行っても、冷たくあしらわれて疲弊していただろう一行に、一人の関守が「先生は木鐸だ」と言った。

転じて今は「社会の指導者」という意味になっている。

見てくれる人はきちんと見ていて、評価をしてくれる。天の道の正しいと思うことを続けることで、いずれ大きな存在となるのだ。

 

<論語とコーチング>

自分が人道的に正しいと思って伝えていることも、メンバーの状態やタイミングによってスルーされることもあるだろう。

しかし、嘆く必要はない。
諦めずに続けていけるかどうか試されているのかもしれない。いずれ真のリーダーになれるかどうか。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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