相手が理解しているかどうかわからず、伝えすぎてしまうのは、上司や先輩のエゴかもしれない(論語・為政2-9)

相手が理解しているかどうかわからず、伝えすぎてしまうのは、上司や先輩のエゴかもしれない(論語・為政2-9)

相手が理解しているかどうかわからず、伝えすぎてしまうのは、上司や先輩のエゴかもしれない(論語・為政2-9)こんにちは。多賀です。

月曜日「論語とコーチング」

今回は、師弟関係の急所の一つ、孔子と顔回の関係が見えるところです。
顔回を通じて孔子が求めていた「理想のあり方」も感じられますね。

30歳くらい年下の顔回に学ぶ姿勢は、それだけ顔回が特別な素質を持っていたのか、
孔子が理想を求めて、謙虚に学んでいたのか。


子曰わく、吾回と言う、終日違(たが)わざること愚(おろ)かなるが如し。
退いて其の私を省みれば亦以て發(はっ)するに足る。
回や愚かならず。  (Isei2-9)

===

先師が言われた。
「回と一日中話をしていると、彼はおとなしく「はいはい」と聞いていて、まるで馬鹿のようだ。
ところが彼の私生活を見ると、逆に私がハッと教えられる事が多い。
回は決して馬鹿ではない」

===

一見、何も主張せずにただ聞いているので、理解しているのかどうかもわからないが、
普段の生活を見ていると、教えたことを全部吸収して実践していることがわかる。
すべては行動が伴っているか。耳が痛い(汗)

 

<論語とコーチング>
部下や後輩が言葉で言えないとしても、行動を見ていれば理解しているかどうかは
わかるものだ。
相手が理解しているかどうかわからず、伝えすぎてしまうのは、上司や先輩のエゴかもしれない。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

論語とコーチング 一覧

 

論語カテゴリの最新記事