心に余裕を持ち「自分を鍛えてくれたり、不必要かどうか考えさせてくれているのだ」としよう(論語・八佾3-15)

心に余裕を持ち「自分を鍛えてくれたり、不必要かどうか考えさせてくれているのだ」としよう(論語・八佾3-15)

心に余裕を持ち「自分を鍛えてくれたり、不必要かどうか考えさせてくれているのだ」としよう(論語・八佾3-15)|リアンブルーコーチング舎こんにちは。多賀です。

さて月曜日、論語とコーチングです。

ChatGPTやGPT-4が世間を刺激しています。
もはやAIが知識はまとめて教えてくれ、テキストによる創造もしてくれるようになりました。
ですので、こうやってアウトプットしていることの価値は、私の自己満足でしかないかもしれませんね。
それが私のQOLですので、それでいいんですが(笑)

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子 、大廟に入りて、事毎(ことごと)に問う。
或ひと曰わく、孰(だれ)か鄹人(すうひと)の子を禮(れい)を知ると謂うや、大廟に入りて事ごとに問う。
子、之を聞きて曰わく、是れ禮なり。(Hachiitsu3-15)

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孔子先生がはじめて君主の先祖の廟に入った時、その度に「これは何か?どういうことか?」と質問した。
ある人が「誰が鄹人の子をよく礼を知っていると言ったのか、大廟に入って事毎に問うているではないか」と。
孔子先生はこれを聞いて言われた。「これこそが礼だ」

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鄹人=「田舎者」と言われる場合と「野蛮な人」と捉える場合があるようだ。
またこの項を「わからないことは、わかった振りをせず、きちんと質問しよう」と捉える場合と、「大げさになっている祭事にどんな意味があるのか、皮肉を込めて訊いている」とする解釈もある。

いずれにしても、「このように尋ねるのが礼だ」というところには着地している。

最初の方は、為政(2-17)の「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ」と同じ姿勢である。
また後者は、長年のしきたりでやる意味が見えなくなっているものや会議や提出書類などに対し、若者が「これやる意味あるんですかねー?」と無邪気に丁寧に訊いているイメージだろうか。

こんな切り口から意訳してみます。

<論語とコーチング>

はじめてのことに対して「これは何か?どういうことか?」と質問するのは、新入社員にとっては大事なことだ。
「いいからやれ!」という時代でもなく、心に余裕があれば「自分を鍛えてくれたり、不必要かどうか考えさせてくれているのだ」として、向き合ってみよう。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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