人の話を聴くことは、死ぬほど退屈で、耐えるもの?!

人の話を聴くことは、死ぬほど退屈で、耐えるもの?!

人の話を聴くことは、死ぬほど退屈で、耐えるもの?!|リアンブルーコーチング舎こんにちは。多賀です。

対話について、昭和43年に刊行された「三太郎の日記・阿部次郎」に書かれていた文を見つけ、引用されたイタリアの詩人レオパルディ(1798-1837)の頃から「聴く」「対話」について記されているのは興味深いと思いつつ、それが将来、ビジネスや社会のコミュニケーションにおいて推奨され、ましてや職業になるなど考えていただろうかと推測すると、またおもしろいので載せてみます。

 

自分にとって興味のある対話の題目は、ただ自己と自己に属するものとである。
しかしこの題目は他人にとって死ぬほど退屈なものであろう。

また他人にとって興味ある対話の題目はただその人とその人に属するもののみである。
しかし他人にとって興味ある対話は自分にとって死ぬほど退屈なことである。

ゆえに吾人が他人と対話して非常におもしろかった場合には、自分の相手に与えた印象ははななだ悪かったものと覚悟せねばならぬ。
また、相手に与える印象をよくするためには、吾人は非常な退屈を忍ばねばならぬ。

レオパルディは覚え帳にこういう意味の言葉を書いた。

三太郎の日記・阿部次郎

 

人の話を聴くことは、死ぬほど退屈で、耐えるもの。
話していて自分が楽しければ、相手に退屈さと我慢を強いている。
なんと人間臭い反応だろう。
この段階から、一段深くこの要素を一つずつ解明して、今のコーチングやコミュニケーションがある。

だからこの分野から離れられない。

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