フリーライターの小林なつめです。
2024年の流行語大賞は「ふてほど」に決まったと聞いたとき、私は「…いやいや「はて?」(「虎に翼」主人公・寅子の口癖)だろ!」と、思わず頭の中で突っ込んでしまいました。
私と同じように感じた人も多かったようで、「この発表結果に「はて?」の声がSNS上で噴出している。」と書かれた記事も出ていました。
・引用:ダイヤモンド・オンライン「はて…?「ふてほど」の受賞で流行語大賞“限界説”が浮上、国民的な人気ワードがもう誕生しない理由」
この結果を知ったとき、私はあらためて「ふてほど」…「不適切にもほどがある!」というドラマは、結局何を伝えたかったのか、考えました。
いいように考えれば、コンプラ社会への疑念を皮肉ったドラマなのでしょう。
でもその主体はあくまでも「マジョリティ目線」。だから、女性である私から見ると「はて?」と違和感を覚える描写の連続で、全く共感できなかったのです。
・参考:「求めているのは寛容さではない」というマイノリティの叫び【ふてほど、おっパン、ケケケに見る現代社会】
コンプラってそもそも何だっけ?
さて、この「コンプラ」とは、そもそも何なのでしょう。
コンプラはコンプライアンスの略で、日本語では「法令遵守」。企業や個人が法令はもちろん、倫理観、公序良俗などの社会的な規範も含めた社会的ルールを守ることを意味します。
いま、「コンプラ」をキーワード検索すると「うるさい」「厳しすぎ」などのワードが目に付きます。どちらかというと、厳しくなったルールを、目障りに感じている人が多いようです。
でも私は、「コンプラ万歳」とすら思っています。自分の置かれた立場から見て、不快に思う情報は目にしたくないし聞きたくもない。いたずらに傷つきたくないからです。
今までの社会で許されてきたもので、傷ついてきた人は確実にいたはず。その人たちは、そのせいで、人格や生き方を歪められてきたという現実があります。
コンプラが重視されるようになってきているということは、そんな弱い立場の人にも目を向けられる、成熟した社会になった証左ではないでしょうか。
著名人たちの感じる世の中の変化
コンプラについて、私の好きなロックバンド、スピッツのボーカル・ギター、草野マサムネさんが雑誌のインタビューで言及していたので引用します。
「コンプライアンスが厳しくなって、つまんなくなったって言う人もいるけど、俺とかは今の世の中のほうが全然、過ごしやすいんですよ。今まで声を上げられなかった小さな存在の人たちが声を上げやすくなってるっていうのは、俺とかの価値観からすると、よくなってるなあって思う」
「ROCKIN’ON JAPAN」2023年5月号より
同じようなことを、ミュージシャンの桑田佳祐さんもラジオで語っています。ラジオリスナーによる、昭和への憧れをつづるメッセージへの回答です。
「昭和がいいわけないもんね。昭和も平成もいいわけねえだろ。…とにかくね、あの頃を思えば自分も含めて、ボキャブラリーは乏しいし。スマホはねえし。弱い者には冷たい世の中だったような気がしますけども。」
TOKYO FM『桑田佳祐のやさしい夜遊び』2024年2月24日放送分より
また、最近では、バラエティ番組のフェミニズム特集回で、司会の上田晋也さんも、桑田さんと似たようなことを話しています。
「古き良き昭和とか言ったりするじゃない。俺あれってほんとにごく一部の男にとってだけ良かった時代なんだろうなって思うの。発言力があったり会社で地位が高かったりする人たちにとってはいい時代だったんだろうけど、それによって苦しんだ女性が相当数いたんだろうと思うし、それが根強く残って、今も脈々と続いている…」
「上田と女がDEEPに吠える夜」2025年3月4日放送回
これは偶然なのですが、このように語っているのは3人とも、「強い側」のはず、しかも、世間で知名度も発言力もある立場の男性でした。
このような発言からも、弱いものに寄り添う時代になっているのは、社会が、そして人々の倫理観が進化している証拠だろうと感じるのです。
参考:
■はて…?「ふてほど」の受賞で流行語大賞“限界説”が浮上、国民的な人気ワードがもう誕生しない理由|ダイヤモンド・オンライン
■「求めているのは寛容さではない」というマイノリティの叫び【ふてほど、おっパン、ケケケに見る現代社会】
■『不適切にもほどがある!』でみるコンプラ社会と昭和人間|日経BOOKプラス
■そんなに昭和に戻りたいのか…セクハラとパワハラが問題視される令和をあえて笑った「ふてほど」の消化不良|PRESIDENT WOMAN Online
■「不適切にもほどがある!」への違和感 すっぽり抜け落ちたものとは|朝日新聞
■桑田佳祐 昭和懐古を語る|miyearnZZ Labo
■「ROCKIN’ON JAPAN」2023年5月号