フリーライターの小林なつめです。
夏(7~9月)ドラマの「西園寺さんは家事をしない」。タイトルがとても魅力的だったので、初回から視聴していました。
その最終回が、この作品の核をなす内容となっていたので、紹介します。
西園寺さんは、なぜ家事をしない?
主人公の西園寺さんが「家事をしない」と決めているのには、母親・美代子とのエピソードが関係しています。
専業主婦で、西園寺家の家事育児の一切を担っていた美代子は、西園寺さんが大学生のときに家族を捨て、現在の夫と家を出ていきました。
西園寺さんはその理由を、「家事・育児が嫌だったから」だと考えています。そのため、家事をすることに抵抗があり「したくないことはしない=家事はしない」と決めていたのです。
約20年ぶりに母親と再会した西園寺さんは、美代子と、当時のことについて話します。
すると、美代子は「家事も育児も別に嫌じゃないから」と。原因は家事や育児ではなく、「やりたいことをやらなくなった自分」にあったと語ります。
「母親」だから○○しないといけないという呪縛
以下、ドラマのセリフが素晴らしかったので引用します
そんな大したことじゃないのよ、ああ映画館行きたいなあとか、おしゃれしたいなあとか…でも母親だし、家事しないとなあって…(中略)だからやりたいこと我慢して、無理に笑ったりして。そんなことしてるうちに、自分の中のやりたいことがどんどんなくなってくの。そのうちに、あんたたちも成長して、時間的にも余裕ができたときにはさ。 もう何にもないのよ、やりたいこと |
いつしか「やりたいことやっちゃだめ」と自分を抑え込むのがクセになり、「こうやって私は、自分を空っぽにしてきたんだなあと思うと、泣けて止まらなくなった」と言います。
それでも美代子が「やりたいことをやらせて」と家族に話さなかったことを後悔していると言うと、西園寺さんは「お母さんが話さなかったのではなく、私たちが話せなくした。話を聞こうとしなかった。知ろうともしなかったから…」と返します。
この最終回はSNS上で、「今、母である女性たち」、「かつて子どもだった大人たち」から賛同や共感を広く集めており、私自身も胸にくるものがありました。
つらいのは「自分」のアイデンティティが失われること
私が感じたのは、母という生き物の忍耐と苦しみ、そして女性に良妻賢母でいることを強要し、専業主婦として家に閉じ込めた、社会や時代の罪です。
つらいのは家事育児そのものではなく、「母としての生き方」を常に求められ、社会に監視されること。型にはまる以外、生き方の選択肢がないことだったのではないでしょうか。
「母ではない私自身」の、やりたいことを我慢しているうちに、自分が何をやりたいか、何が好きなのか忘れてしまう…つまり「本来の自分を見失ってしまう」というのは、個としてのアイデンティティを取り上げられることと同じです。
西園寺さんのモットーは「やりたいことはやる、やりたくないことはやらない」でした。
多様化の進む現代、家族の形も多種多様です。そろそろ「母親だから○○」という枷や鎖から、女性たちは解放されるべき時期なのではないでしょうか。
【参考】
■ 「西園寺さんは家事をしない」最終話、西園寺さん(松本若菜)の母(高畑淳子)が家を出た“本当の理由”明かされる 視聴者涙止まらず「リアルすぎる」「聞いているだけで苦しい」 – モデルプレス
■ 自分の母親のやりたかったことはなんだろう。西園寺さんは家事をしない、最終回より。|楓