フリーライターの小林なつめです。
マウント、マウンティングって?
「マウント」や「マウンティング」という言葉が市民権を得てから、すでに10年以上経とうとしているようです。
マウントを取ること、すなわちマウンティング行為は、元々は動物が上下関係を誇示する(優位性を示す)ために取る行動を意味する言葉でした。
それを人間関係にあてはめ、言葉や行動で「自分の方が立場が上だ」ということを示す行為について、「マウントを取る」「マウンティング」というようになりました。
マウントは男女問わず誰もが取りうる行動ですが、女性によるマウント行為は、男性のそれよりも複雑なので、研究対象とされるなど、注目度が高い傾向にあります。
なぜ、女性のマウント行為は、男性よりも複雑なのか
女性同士のマウンティングについて研究している、臨床心理学者の森裕子氏によると、女性のマウントが男性よりも複雑なのは、女性と男性の役割が異なるからだといいます。
男性に求められる役割や価値は、ごくシンプルです。仕事の成功、肉体的・精神的なタフさ、そして独立心。これらの価値感は全て1本の線で結びついています。
そのため、共通した「理想の男性像」には、共通のイメージが持ちやすく、男性同士のマウント合戦の勝敗は簡単に決まります。そもそもマウンティングにすら発展しないケースも多いそうです。
反面、女性に求められる役割や価値は多様です。
森裕子氏によると、女性によるマウンティングは、3つの価値観の間で「三すくみ」の状態になりがちです。
出典:森裕子「なぜ女性同士の対立は生じるのか?―マウンティングの発生と対処法に着目して」
1つ目は古き良き女性としての価値観。主婦として家族を支え、安定した生活を送ることを最善の生き方だと考えています。
2つ目は、誇れる仕事を持ち、経済的に自立した女性の価値観。自分の能力で身を立て、自由な生活を送ることに価値を見出しています。
さらに3つ目として、女性としての性的魅力に重きを置く女性もいます。彼女たちは、美しさや若さ、男性からモテることこそが、生きる意味だと考えています。
これら三者三様の立場・考え方は、全く別次元のもので、価値観の異なる女性同士でマウンティングをしても、どこまでいっても平行線。なかなか折り合いがつきません。
マウント合戦に勝負がつきにくいのは、悪くない?
でも、この「勝負がつかない」状態。見方によってはいいことではないでしょうか。
男性は競争のしやすさからヒエラルキーが固定しがちです。
その結果、経済的にも社会的にも地位を得にくく、自らを「弱者男性」と呼ぶ層に位置するような男性たちが、排除される…あるいは自ら勝負を避ける、離脱するような傾向が強まっているように思います。
その点、女性はさまざまな方向性から自身の価値を見出しやすく、他分野で競争できます。これは「自身の得意分野やキャラクターを発揮し、生きる道を選べる」という言い替えもできるでしょう。
女性のマウント合戦には勝負がつきにくい。
だからこそ、生き延びる道が選びやすい。より生きやすい道を模索するために、「男性よりも自由な生き方を選べる」のではないでしょうか。
【参考】
■ なぜ女性同士の対立は生じるのか?―マウンティングの発生と対処法に着目して|森裕子
■「マウンティング」という言葉が使われ始めたのはいつからか?|オカベ ヤスユキ
■ マウントをとるということ | 生活・身近な話題 | 発言小町
■「女性同士のマウンティング」に関する研究論文が興味深くView数が少ないのがもったいないレベル 具体的なエピソードもなかなかすごい – Togetter [トゥギャッター]