フリーライターの小林なつめです。
私と「ネガティブ・ケイパビリティ」の出会い
私がジェンダーについてのコラムを書き始めて、早いもので丸2年がたちました。
ときに楽しく、ときに苦しみながらも執筆しているのですが、コラムを書いていて特に難しいと感じるのが、文末の書き方です。
私が文章の締めを書くのを難しく感じる理由は、文章の最後には、必ず「まとめ」を書かなくてはならないと考えていたからです。良くも悪くも文章には何らかの「結論」を出さなくてはいけないという思い込みがあったのです。
この悩みについて、当HPを運営している多賀さんに相談したところ、「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方を教えてもらいました。私にとっては、初めて聞く言葉です。
ネガティブ・ケイパビリティとは?
作家で、精神科医でもある帚木蓬生氏の著書※によると、ネガティブ・ケイパビリティは、「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」。
簡単にいうと「物事の結論をあえて付けずにいる力」だと、私は解釈しました。
先に述べた通り、私はコラムを書くときにはもちろん、大抵の物事には白黒決着を付けることこそが「いいこと」だと考えていたので、この概念を知り、かなりの衝撃を覚えました。
それまで私は「物事にあえて結論を付けずにいる」という選択は、一種の怠慢なのではないかとさえ、考えていたからです。
でも、考えてみれば、結論や折り合いが付かないことはたくさんあります。だからこそ無理に落とし所を設けるのではなく、一旦は「結論なし」として、その物事について考え続けるという態度は、怠慢どころか誠実といっていいのではないでしょうか。
ミスチルの歌詞にネガティブ・ケイパビリティの精神を見つけた
そんなとき、たまたまMr.Childrenの「口がすべって」という曲を耳にする機会がありました。歌詞の主人公は、口がすべって「君」を怒らせた「僕」です。
「君」を怒らせたものの、「僕」は「間違ってないから謝りたくなかった」といいます。2人人間がいて、それぞれの考えが違い、どちらも間違っているわけではないけれど、ぶつかってしまうというのは、よくある出来事です。
「僕」は、「君」との関係性について考えるうち、民族同士の対立にまで思いを巡らせます。
最終的に「僕」はどうしたかというと、「君」と仲直りをするといった決着を付けることはしません。ただ、自分の中に結論とも言えないような結論を出し、歌詞は「ひとまずそういうことにしとこう それが人間の良いとこ」と締めくくられます。
この歌詞はまさにネガティブ・ケイパビリティ、そして、その力を持つ人間の魅力を表現しているように、私は思いました。
「ネガティブ・ケイパビリティ」を身に付けるのは難しい
とはいえ、「僕」のようにネガティブ・ケイパビリティの精神を実行するのは、そう簡単ではありません。私のように結論を出すことこそが最善だという価値観を持つ人間は、その根底を180度変えなければならないからです。
物事にあえて結論を付けず、グレーな状態のまま頭の片隅に置いておき、時々そのことについて思考を巡らす…今の私にとっては、なかなかの忍耐力が必要な行為です。
それでも、そんな私だからこそ、必要な能力だと思えます。
まずは「物事の結論は、白黒ハッキリさせることが最善とは限らない」という価値観を、育てていくことから始めたいところです。
【参考】
■ amazon:『ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力 ( 朝日選書 958 )』帚木 蓬生/著 朝日新聞出版 2017.4
■「口がすべって」作詞・作曲:Kazutoshi Sakurai 2008