去る1月27日金曜日、宮城県中小企業家同友会 第23期同友会大学卒業式が執り行われました。
私は司会のピンチヒッターとして、立ち会う機会を頂き参加して参りました。
企業代表者がお祝いの言葉を贈っていましたが、私は司会だからと何のメッセージも考えておらず、急に振られた場面で言葉が浮かびませんでした。そんな不甲斐なさを感じ、自宅に戻った夜、もう一度あの場に立ったのなら何を伝えただろうと考え、自分の備忘録として綴っておこう決めました。
「ご卒業、誠におめでとうございます。
みなさんの今感じている達成感と、学んだ事に対する喜びとともに、これから味わうことになる様々な感情について、お話させてください。
私は以前、論語を少し学ばせて頂いておりました。論語の一番有名なものは、みなさんご存じだと思いますが、
”学びて時にこれを習うまた悦ばしからずや。友遠方より来るありまた楽しからずや。人知らずして憤らずまた君子ならずや”
です。
学ぶということに対して起こることを、これだけ端的に言い現わした言葉は貴重だと思っています。
まず、”学びて時にこれを習うまた悦ばしからずや。”ですが、これはみなさんも既に仰っている「学んだだけで行動しなければ意味がない。行動してわかることがある。なんと悦ばしいことだろう。と私は捉えています。
次に”友遠方より来るありまた楽しからずや。”の部分です。これは、これまで様々な場所、会社からこの学び舎に集まって一緒に学び、語り合った楽しい経験が一つです。
それからもう一つの側面で観ますと、これから皆さんに起こる「寂しさ」「悲しさ」に対する対処として教えです。
学ぶということは、知ってしまった、気づいてしまった、視座が上がってしまった、ということです。敢えて「~しまった」と言っていますが、知ってしまったあなたは、これまで通りに周りに人との会話が出来なくなる可能性があります。
例えば、これまで会社の愚痴を言うことでわかり合っていた幼馴染や友人の話が、急に小さなことに見えてきてしまうでしょう。そんな相手に対して「いや、自分だよ。地域の中の会社だよ。」と伝えても「メンドクサイやつになった」と思われる。
そうしていくうちに、話をしていてもつまらなくなる。自分の伝えたいことが伝わらなくなり、「寂しさ」を感じるわけです。
また、学んだことを行動しようと「いいアイディアがあります」と提案したら「いいから、目の前のことを先にやってくれ」と一蹴されてしまうかもしれません。そんな状態になると人は、「悲しさ」と共にふてくされたり、「怒り」が沸いてくる。なんでわかってくれないんだと。
そうこうしているうちに、人は諦めに入ります。そして整合性を取ろうとします。「なんだ、あの時の学びは意味がないじゃないか」「自分の環境じゃそんなの無理だ」と。
だから”友遠方より来るありまた楽しからずや”なのです。ここにいる仲間たちに再び会い、今現在感じているような想いを大いに語るのです。上手くいっていること、いっていないこと、忘れていたこと。エネルギーを充電し、また自分の道を進むのです。
自分だけ頑張っているという孤独を感じず、離れた場所で仲間たちも頑張っているはずだ、応援してくれていると思うだけで人は強くなれます。
最後の”人知らずして憤らずまた君子ならずや”は、そうはいっても、どんなに自分が頑張っているか、考えているかを理解してくれる機会は少ない。「周りの人がわかってくれないといって、怒るな。それが出来たリーダーというものだ」という自分に言い聞かせる一文です。
学ぶとは、喜び、楽しさと共にたくさんの寂しさや悲しさに出会います。それでもここに集ったのは、あなたがそれに値する人だからだと、私は思っています。いろんな感情を味わいながら、どんどん自分の可能性も広げていってくれたら嬉しいです。
門出に際し、以上のことをお伝え出来る機会を頂き、ありがとうございます。私も改めて姿勢を正すことができました。
本日はご卒業、誠におめでとうございます。」