こんにちは。多賀です。
12月は来年度の研修スケジュールや予算が決まり始める時期ですので、バタバタしております。
来期もお声がけを頂き、嬉しいと同時に気が引き締まります。
さて、月曜日「論語とコーチング」です。
論語の人気記事はこちら。「目上の人を敬う、こんな理由はいかがでしょう?(Gakuji1-2)」
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三家者 、雍(よう)を以て徹す。子曰わく、相(たす)くるは維れ辟(へき)公 、天子穆穆(ぼくぼく)と。
なんぞ三家の堂に取らん。(Hachiitsu3-2)
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三家者が自分の家の祭祀の際に、雍の詩を歌ってお供物をささげた。
先師が言われた。
「雍の詩には『諸侯が祭を手伝い、天子はその座にあってご機嫌麗しい』とある。
どうして大夫である三家の正堂で演奏するのか」
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前回の八佾3-1に引き続き、優秀だからといってわきまえない傲慢な行動に憤慨している、孔子の様子が記されている。
弟子たちがどうしてこの部分を残したのかわからないが、孔子の人柄や信念が伝わってくる。
孔子は、また内乱がはじまるのを、危惧していたのかもしれない。
人間というのは、どんなに科学技術が進歩しても、業(ごう)をはじめとした本能的な部分は変わらない。
ここが私が人をおもしろく感じている部分でもある。
<論語とコーチング>
優秀であることを示そうと、社長や上司のような振る舞いだけを真似してやっていたが、それは単なる傲慢さを周囲に見せているだけだろう。
~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~