学んでなくても、人の為に動ける人にはかなわない(論語・学而1-7)

学んでなくても、人の為に動ける人にはかなわない(論語・学而1-7)

学んでなくても、人の為に動ける人にはかなわない(学而1-7)

子夏(しか)曰く、賢を賢として色に易え、
父母に事につかえて能く其の力をつくし、
君につかえて能く其の身を致し、
朋友と交わるに言いて信あらば、
未だ学ばずというと言えども、
吾は必ず之を学びたりと謂わん
(Gakuji1-7)

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子夏が言った。
「孔子先生がいつも仰っている仁と徳を、
自然にやってしまっている人がいたならば、
たとえその人が正式に学んだことがなくても、
私は必ず、学を持った人だと認めよう」

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「知っている」けど「出来ていない」ことは多い。
私もその一人だし、どちらかというと〇〇理論などの学術的な考えに、
興味が大きい方なので、学ぶこと=知識の習得に没頭してしまう。
それが自己肯定感や自己信頼感にもつながってるのも確か。

しかし「知らない」のに「出来ている」人には、到底かなわない。
特に、学んだわけではないのに、人のために行動できる人、思いやれる人、
他人が嫌がることを進んで出来る人。

学んでいるということに安心し、そこに居続けるのではなく、
自ら少しでも取り入れ出来るようになる、やがて自然に思考と体が動くように。

 

~もうひとりの全く逆の意見を持つ君とともに~

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