フリーライターの小林なつめです。
平野卿子氏『女ことばって何なのかしら?』は、そのタイトルの通り「女言葉」をテーマに、普段使いの日本語をジェンダー格差の視点から読み解いた一冊です。
その中に、西洋と日本の男女の在り方の違いを論じた箇所があります。特に興味深いのが「カップル社会と男女棲み分け社会」という章です。
この見出しから分かるように、「日本では、男女は別々の行動をとることが多いのに対して、西洋では女と男はカップルとして一緒に行動する」ことが多い傾向にあります。
「カップル社会」と聞いて、最初に私の脳裏に浮かんだのは「ピーターパン」です。ウエンディたち姉弟がピーターと出会ったのは、両親が揃ってパーティーに参加していた夜でした。
私が子どものころ、初めてピーターパンを見たときに、驚きと違和感を持ったのがこの描写です。「子どもを置いて両親がパーティーに行くなんて…!」当時は、西洋における「カップル文化」を知らなかったため、カルチャーショックを覚えたものです。
そう、西洋では何をするにも男女のカップルで1単位と見なされる文化があります。
この習慣にはキリスト教の強い影響を受けています。例えばキリスト教の聖典である『創世記』には「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」と記されています。
西洋の、カップル文化やレディファーストの習慣は、私たち日本人から見ると、先進的なイメージがあります。
プライベートな場面ではもちろん、重要な場面でも男女が行動を共にすることで、男女が対等な関係のように見えるからかもしれません。
一方の日本では、基本的に別行動をとる夫婦がスタンダードです。
妻と夫それぞれに、家庭以外のコミュニティを持ち、別々の楽しみを持っている。全てを共有しないというのが、一般的な夫婦の形ではないでしょうか。
「個人主義」というような傾向で、こちらはこちらで、西洋とは別のスマートな印象を受けます。しかし、日本の夫婦の関係性が先進的だとはいえません。
夫婦の別行動は、一見、女性が自立しているように見えます。しかし実際のところ、家庭内の性別役割をこなしあうだけの夫婦関係になってしまいがちです。
結論としては、西洋と日本、どちらにおけるカップル・夫婦文化も、結局は女性差別に基づいたものだといえます。
著者の平野氏は、西洋と日本の文化は異なるけれど、「根底にある考えは同じ」といいます。「どちらにも「女は愚かで弱い」という大前提があり、それが西洋では「だから、俺のそばを離れるな」となり、日本では「だから、ひっこんでろ」となっただけのこと」だと。
とはいえ、西洋のスタイルの方が、夫婦の絆が強く保たれそうではあります。
また、夫婦で行動を共にするためには、時にベビーシッターや家事代行サービスなどの利用が不可欠であり、実際西洋社会では、それらのサービスが一般に普及しています。
夫婦関係を重視した結果、日本ほど性別役割が強化されなかったという点で、個人的には「うらやましい」と感じてしまいます。
【参考】
『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語(河出新書 063)』
平野 卿子/著 河出書房新社 2023.5
■映画の小部屋☆『ピーター・パン』☆☆☆☆☆