フリーライターの小林なつめです。
「ジェンダー・バイアス」は、ジェンダーを考える上で基本となる概念だ。
直訳すると「社会的・文化的性差別あるいは性的偏見」。
こう書くと大げさなようだが、実際には誰もが「ジェンダー・バイアス」の視線にさらされている。
例えば世間一般にいわれる「男らしさ」や「女らしさ」に結び付けられる性格や行動、進路や職業選択、仕事は男性・家事育児は女性という「性別役割分業」など、すべてがジェンダー・バイアスによるものだ。
男女の考え方や行動の違いは性差によるものではなく、「男脳」や「女脳」に科学的根拠はない。
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それにも関わらず私たちがジェンダー・バイアスを持ってしまうのは、幼いころから世間や周囲に刷り込まれた「男らしさ」や「女らしさ」を内面化しているからだ。
「ジェンダー」というと、女性にまつわる問題というイメージが強い。
これは男性と比べると、女性の方が社会的に抑圧された存在だからだろう。
しかしジェンダー・バイアスは男女を問わず存在している。
社会的に女性よりも力を持っているがために、男性の抱える問題は可視化されにくく、トピックとして取り上げられる機会も少ない。
男性に向けられるジェンダー・バイアスは、実は男性自身を苦しめ、さらには彼らの周囲の人々をも苦しませるリスクをはらんでいる。
男性特有のジェンダー・バイアスのことを、日本では「有害な男らしさ」と呼ぶ。
これは1980年代後半にアメリカの心理学者が提唱した「Toxic Masculinity(トキシック・マスキュリニティ)」という概念を直訳した言葉だ。
「有害な男らしさ」は伝統的な「男らしさ」を尊重するため、個性や多様性を認めない。
男らしさや力強さが称賛される男社会に、プレッシャーを感じる男性は少なくない。
周りとは違う「女々しい」個性や好みを押し隠したり、弱みやつらさがあっても打ち明けられずに抱え込み、メンタルヘルスに不調をきたしたりと、生きづらさの原因になっている。
「有害な男らしさ」と合わせて考えたい概念に、「ホモソーシャル」がある。
ホモソーシャルというのは、男性同士の連帯を深めるための特別な絆のことだ。
この絆で結ばれた男性たちは男らしさを最も良いものと考えている。
そして仲間内の絆を強化するために、女性への差別や性暴力、セクハラやパワハラ、あるいはLGBTへの差別や扇動といった行動をとってしまう傾向にある。
「有害な男らしさ」や「ホモソーシャル」は、多様性を認めようとする現代社会の風潮とは真逆の価値観で、本来自由であるはずの人々の生き方を狭めてしまう。
このように男性へのジェンダー・バイアスは、男女を問わず、社会全体にとって有害であることが明らかだ。
私たちはまず誰もが無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)を持っていると認め、自らのものの見方や考え方を見直していかなくてはならない。