「子どもの有無による女性同士の対立・断絶」は誰のせい?前編【ミクロな視点編】

「子どもの有無による女性同士の対立・断絶」は誰のせい?前編【ミクロな視点編】

「子どもの有無による女性同士の対立・断絶」は誰のせい?前編【ミクロな視点編】フリーライターの小林なつめです。

 

子あり/子なし女性の対立・分断が激化している?

2025年年末、このようなポストが注目を集めました。

「子無しはフリーライドだ」って言われるけど、子供の事情で欠勤する人の穴埋めしてるんですよ現実は……」めれす@Panama6123912

 

「子無しはフリーライド」というのは、子どもがいない人は「将来の納税者を増やさない」すなわち「社会維持に貢献しない」「社会制度にただ乗りしている」という意味合いで、近年、「子なし」の批判によく用いられる主張です。

また、子ありと独身の関係を示したこんなポストは、1つ目に挙げたポストよりも、さらなる共感と批判を巻き起こしていました。

建前として、現代社会は結婚するか否か、また子どもを持つか否かを自由に選べ、どちらを選んだとしても、その選択を尊重される(べき/はずの)土壌があります。

しかし現実には、未婚か既婚、あるいは子どもの有無で、価値観のギャップや、実生活における負担(の差)が生じ、対立や分断を引き起こす構図につながっているようです。

2026年4月には、社会保険料「子ども・子育て支援金制度」が始まります。

この制度では、全世代(子育て世帯を含め、未婚既婚問わず、子どものいない世帯や、子育てを終えた世帯も)から、保険料の徴収が行われます。

しかし、子どものいない世帯が受ける恩恵がほぼないことから「独身税」と呼ばれており、このネーミングからも、子なしと子ありの対立や分断が深まっている感があります。

 

 

ミクロな視点では…「自己正当化」が原因かも?

なぜここまで、子なしと子ありの対立・分断が広がってしまったのでしょう。

まずはミクロな視点で、子なしと子ありの対立について考えてみました。

1つ1つの対立の構図を観察していると、その原因は、子なしと子あり、それぞれの立場の人が、自分の生き方を正当化したい気持ちにあるように思えます。

ひと言で「子あり」「子なし」という属性にひとくくりにすればそれまでですが、もちろん、それぞれの属性の中にも、いろいろな人がいますよね。

子を持つこと、あるいは持たないことを主体的に選んだ人、そうではなく、気づいたらそうなっていた人…どちらも、自分の選択に100%の自信は持てないはずです。

だからこそ「これでよかったんだ」「自分は間違っていない」と自分を納得させたい、自己正当化したい気持ちがあるのではないでしょうか。

なぜなら、子を持つか、持たざるかという選択は、良くも悪くも、人生や生き方を大きく左右するものだからです。

冒頭で紹介した2つのポストについては、「子あり」を否定する意図はなく、「子ありの尻ぬぐい」について、ちょっと愚痴りたかっただけのように見えます。

それなのに、その愚痴を受けた「子あり」たちが、自分たちの選択や生き様を否定されたように感じ、必死になって自己正当化するためのリプライを送っているようなのです。

外野から見ると「やりすぎ、言い過ぎ、攻撃しすぎ」な反応かもしれません。

でも、同じ子あり視線から言うと…「育児は想像以上にきついんだよ…」ということをわかってほしくて、どうしても伝えたくなってしまう気持ちは、理解できます。

私自身、「育児より仕事向きの人間で、子を持つ前は仕事の肩代わりや残業を嫌だと思ったことが全くなかった」、またそれが「(結果として)子どもを持つまでの期間限定だった」からというのも、大きいかもしれません。

 

 

「子育て」のイメージは、産む前と後で全く違う!

先日、子なしを「ノンママ」と定義して、その生き方や苦悩を描いた、香山リカ氏『ノンママという生き方』という本を読みました。

全体としては、子ありの私でも納得できる内容でした。

でも…「仕事をしているノンママにとっては、そのストレスを「子育て」で逃がすことができないのはつらい…もちろん、子育てがストレスという場合もあるだろうが」という一節には、つい「笑止!」と思ってしまいました。

「子育てでストレスを逃がす!?逆、逆!仕事で逃がすの!」「子育てにストレスを伴わないケースなんてある!?否、ないでしょう~」

 昨年子どもを産んだちゃんみなも「夫が寝たあとに」で言っていました。

「寝たいときに寝られないし、食べたいときに食べられないし、起きたくないときに起きないといけない」って…そう、これこそ育児のつらさ。

自分の人生を生きているのに、自分の生活を最優先できない、してはならなくなるんです。しかもこの期間、子どもにもよりますが、大体5~10年くらいは続きます。

子どもを持つ前から「育児は大変だ」と知識として知ってはいても、実際に経験するのとは雲泥の差なんですよね。

子ありと子なしが対立してしまう原因は、「子育て」に対するイメージや解像度の乖離にもありそうです。

 

 

「子を持つか否か」どちらを選んでもいいはずなのに

ノンママという生き方』のあとがきには、こんなことが書いてありました。

ノンママが子どもを持たなかったことの迷いや後悔を口にすると「いっせいに「ほら見たことか。産めるときに産まないからそうなるんだ」」と非難するのはやめてほしい。

「誰もが100パーセントの確信でノンママになるわけではないのだから、たまには「あーあ、子どもがほしかったな」などとボヤく自由を、ノンママにも与えてほしい。」

私はこれを読んで「子ありと同じじゃん!」と思いました。

子ありの場合、産んだ子どもを育てる苦労を愚痴ると、「子どもがいるんだから、自分は捨てろ、子ども最優先、自分が産んだんだろ」って言われますよね。

女は、子どもを持っても、持たなくても、迷いや弱音を口にすれば、違う角度から攻撃を受ける…「子どもを産める」機能があるというだけで。ずいぶん不条理に思います。

本来なら、「子なしも子ありも、迷うことやきついときがあるよね~」と、本当ならそれだけで済むはずの話なんですよね。

 

「子どもの有無による女性同士の対立・断絶」は誰のせい?【マクロな視点編】に続く

 

【参考】

■PRESIDENT「「子あり」と「子なし」どちらが幸せなのか…30代の私が「夫婦2人暮らしでよかった」と思う瞬間
■mi-mollet(ミモレ)「子供を持たない人は「社会にタダ乗りする人」なのか? 「役に立たねばならない」の呪いから解放されるために【月岡ツキさん】
■マネイロメディア「独身税とは?対象者と負担額は?2026年4月スタートの子ども・子育て支援金制度を解説」
『ノンママという生き方』香山 リカ著 幻冬舎 2016.7

 

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